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ツーリング

ツーリング日記番外編昔話

2020.11.15
2019年8月 私はかねてから気になっていた事を確かめるために
青森駅へ行ってきました。

[記憶を辿る東北紀行](仮)前編
 
早朝、青森駅前に到着した。トレーサーを以前はなかったセブンイレブン前に
置き歩いてみることにした。
駅の近くには朝7時というのに行列が出来ていた。元祖アラサー店と
看板が出ている。なんと珍しい年代指定のお店か・・。或は店主の年齢
かと思ったら元祖アサラーの店だった。
朝からラーメンか・・。元祖があるかどうかはわからないが東北の人
は麺好きが多い。辺りを見渡せばあれから時間も経てマンションが
建っていたり相当景観も変わっているがたしかに私はここにいたはずだ。

あれは30数年前の夏だった。八甲田山の麓の展望台駐車場で当時の愛車
GSX750Eのエンジンを止め映画で見た雪に覆われた八甲田山とは似ても
似つかない深緑の山を茫然と見ていた。
毎年のこの時期には休みを目一杯使って長足の旅に出る。
今回北に向かったのは単純に昨年は九州を巡ったから今年は反対方向の
東北にしただけだった。特に目的もない気ままな一人旅である。
ツーストの甲高い音を響かせ、ガンマ250が駐車場に入ってきた。
駐車場はガランとしていたがGSXの隣に止まった。地元のライダーだろうか
青森ナンバー付いている。そして、
繁々とマフラーを見ている。

私がバイクに近づいていくとバイクのマフラーを指さし「走るときはこの
蓋は外すんですか?」と青森訛りで聞いてきた。
当時私のバイクにはスーパートラップというマフラーを付けており後方には
穴はなくエンドキャップがありその手前の重ね合わせたディスクの隙間から排気
する構造だった。しかも集合タイプは販売はされてなくプロトタイプだった。
「いやぁこのままなんですがこの隙間から排気するですよ」とディスクを
指をさすと「へぇー」と?マークを頭上に沢山浮かべてマフラーを
見ていた。
それきっかけでひとしきり話し始め「今日はどこまで行くの?」
と聞いてきた。もうお昼は過ぎていた。当時は宿を予約するなんて
ことはなく電話ボックスにある電話帳をめくり周辺の宿を探すという旅
をしていた。「明日は帰るのでなるべく関東に近づいて泊まろうと
思ってます」と言うと「うちへ泊れば」「・・・・」話し始めて15分と
経っていない。いきなりのナンパである。改めて地元ライダーを見た。
歳の頃は30位か私より5歳位上だろうか。朴訥で真面目そうな
青年である。悪い人には見えないが・・。

ツーリングライダーを良く泊めているらしいが家は青森駅の近く
という事だ。逆方向である.当時、東北自動車道は岩手県の安代
(アシロ)までしか開通しておらず青森駅から目指すとなると八甲田山
をこえ十和田湖を抜け八幡平を走って行かねばならない。
「もし、お邪魔すると朝早く起きて出発することになりますよ・・。」
「大丈夫だ」
その後どんな会話をしたか定かではないが私は泊る気になったらしい。
気が付くと右に左にヒラリと軽快に峠道を下るガンマ250の走るラインをトレースし
ていた。催眠術か?程無く、彼の家へ到着した。バイクが3台置いて
あった。バイク好きなんだな、何だか少しほっとした。

家は青森駅の近くというより隣である。地元ライダーは国鉄の職員で奥様と
と奥様のお母さんと3人暮らしだった。慣れているのか突然お邪魔
したにも関わらず笑顔で歓迎してくれた。
家にはお風呂がないという事で近くの銭湯に行き汗を流し
奥様の料理をご馳走になりビールを飲み明日は午前4時起きですと
宣言する客人。そこでハタと気が付く客人。財布の中には万札1枚
しかない事を・・・。
しまった、お金を下し忘れた。明日は日曜日だ。このままでは高速代
で金は尽きる。当時はETCなんてものは影も形もなく現金だ。
しかも、四輪乗用車と二人の乗り禁止で一人しか乗れない二輪が同料金
という理不尽な時代だった。安代から浦和まで1万位だった。
ガソリンも入れられず飲まず食わず走るか下道でひたすら行くか・・・
ここは直球でお願いする事にした。「お金を貸してください・・。」
間髪をいれず
「いいよ。」と快く一万円を貸してくれた。そう言えば古くからの知り
合いのように飲み食いしていたがまだ名乗ってなかったである・・・。
後編へつづく

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